2011年12月31日土曜日

ブログの投稿数から2011年を振り返る



►  12月 (4)
►  11月 (4)
►  10月 (4)
►  9月 (11)
►  8月 (8)
►  7月 (6)
►  6月 (8)
►  5月 (3)
►  4月 (8)
►  3月 (6)
►  2月 (6)
►  1月 (6)

アベレージで言うと、だいたい、月6エントリーぐらい。

3月には大切な人との別れがあり、そして地震。
6月に、本が一冊出来上がり、仕事では違う現場に移動。
9月にはまた違う場所で仕事をすることになったのと、箱根までの100km行軍、大阪講演。
12月にも大切な人との別れがありました。

多くの出会いと、多くの別れに、支えられ・鍛えられた一年でした。


来年は、フィールドを変えて挑戦したいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

別室のブログもあります(アメブロ)
http://ameblo.jp/daiheiwa

用途に応じて使い分ける予定~

[メディア掲載] 2011.12.28

Twitterまとめサイト「Togetter」まとめランキングベスト20
http://gigazine.net/news/20111228-togetter-matome/

の11位に私のツイートを掲載して頂きました。
私のツイートで助かった人が居るということを嬉しく思っています。

先々週に、ラーメン屋で荷物を置き忘れた @Twikigyo 氏とラーメン勝負をしたのですが、
その後、@MajorGeneral氏にはお礼ができていないということでした。
風貌はIT戦士のような方だったとのことです。


Twitterまとめサイト「Togetter」まとめランキングベスト20
http://gigazine.net/news/20111228-togetter-matome/

2011年12月19日月曜日

英語力

昨日は関わっている外人主体のチャリティ財団でのチャリティコンサートのお手伝いをしていました。
私以外の裏方スタッフは全部外国人なので打ち合わせなどは全部英語。

さすがに海外育ちでもあり、日々、英語のPodcastを聞いているし、洋画は字幕なしで観られるので
聞き取りは問題なく可能ですが、普段から喋り慣れていないので、口が動かない。。。

酒が入ってくると、口が柔らかくなってきて、合いの手を入れられるようになり、会話にも入れたのですが。。、

"Do you know ECO?"
"Yes"
"Finish it!!"
って残ってたワインを飲まされたり・・と(笑)


シラフでも対応可能なように、英語を喋る環境を増やしていかなとなと思いました。


なお、当日の役割は、お客様の接客をやっていました。お客様は殆ど日本人なので、私の日本語が役に立った感じです♪


2011年12月7日水曜日

日本政策学校 第3回講義 三浦博史

ソーシャルメディアマーケティング理論と実践①
2011-12-03 13:00

三浦氏の本は「舞台ウラの選挙」を読んでいたので、大変楽しみにしていました。
それ以降の差分の話も聞けたのが良かったです。

選挙に「感動」が必要だということに関しては、第2回講義での佐野氏の
政治家に大切なのは「言葉」であるということに通じるものがあると感じました。

公職選挙法にはあまりビビらずにグレーゾーンは都度確認しながら、行なっていけば良いと知りました。

やはり、自分の方向性からもPRのスキルと経験を伸ばしていくべきだなぁと感じた次第です。

板野友美が何故、神セブンから落ちたのかという話が面白かった。
理由としては、板野の支持層が20代30代であるのに対し、
今回の第3回の総選挙では中高生の投票が多く、中高生には板野は人気がなかったからだという点。

難攻不落であるような選挙でも、投票率が上がり、
それまでと違う層が投票に行けば、違った結果になる。
3バンのない候補者の勝つための戦略の一つに、
投票率を向上し、浮動票を多くすることにあるのかもしれません。

若者の投票について、若者の絶対数が少ないどうせ選挙に行っても何も変わらないと思うのではなく、
まだ、若者の上限にははるかに遠いので、まだそれをいう段階じゃないんじゃないの?
という反論は府に落ちました。


やる前から、諦めちゃだめだ。

以下紹介された参考文献。
三浦 博史
PHP研究所
発売日:2010-04-16







文藝春秋編
文藝春秋
発売日:2010-11-25

2011年12月6日火曜日

作家 佐野眞一氏講義「津波と原発 」 【日本政策学校#2】

日本政策学校 第2回講義
”津波と原発~日本人の精神と日本近代化の検証”
佐野眞一講師

第2回講義は、正直なところ著作も呼んだことがなく、ピンと来なかったのですが、
震災直後に、現地入りした佐野氏の、被災地の現場で見た感覚や、政治家に大切な「言葉」とその条件。
変革者の条件 (正力松太郎と孫正義)、日本国内には植民地がある等の話が衝撃的でした。

変革者は辺境からという話がありましたが、なるほど、明治維新も薩摩長州という、都から程遠い外様大名の藩から起こりました。
長州などは、年始の挨拶で、いつ徳川を倒すのかと家臣が大名に問い、それに対し「まだ早い」と返答する慣習が有ったように、250年不満を貯め続けました。
また土佐の坂本龍馬も郷士という、250年以前に山内家の土佐入り時に、元々の長宗我部家の武士から形成された低い身分から生まれました。

では、変革者を産み出しうる、辺境や虐げられた身分は現代どこにあるのか。
佐野氏は孫さんのような在日二世が日本の多様性を保存しているだ、と在日に期待をしているようでしたが、
旧世代で差別を受けていた今日の在日や部落は、特権が認められているなど優遇されている一面もあり、ある意味、既特権になりつつあります。

佐野氏もし適していたように、現代最も虐げられている存在なのは若者ですが、その抑圧は巧妙に隠されており、本人達がなかなか気づきにくいようになっています。
また、佐野氏も指摘していたように日本人が内向的になっていて、そこまでのパワーは無く、デモとかもちょっと趣旨がズレたことをしているイメージしかないし。
日本の変革の原動力となりうるマグマはどこにあるのだろう?と考えさせられました。

若者と、若者を労働力として都会から吸収され続けて、疲弊していった地方なんかも、おおいに原動力になるのかな、とは考えています。
(そして、その二つこそが、私がベーシック・インカムを推進する理由でもあります)


講義の中でおすすめされていた本は以下。
図書館で借りてこなきゃ。




2011年11月29日火曜日

南相馬市長 桜井勝延氏 【日本政策学校#1】

日本政策学校の第一回目の講義は
南相馬市長 桜井勝延氏の講義でした。
;http://www.city.minamisoma.lg.jp/mayor-room/profile.jsp

桜井氏はTime誌の2011年の世界で最も影響力のある100人に選ばれた日本人。
彼の政治家としての信条や、現場の第一線で指揮を撮り続けて来た話は
涙無くして聞くことは出来ませんでした。

中でも印象的だったのは以下
・政治家の仕事は命を守ること
・職業の使命感(マスコミ、政治家)
・趣味のマラソンの走る目的
→内向的な自分と戦うため
・被災者に対して求められているのは「心を取り戻す」こと

私も南相馬市の復興に携わっているので、かなり身を乗り出して受講することが出来、2点ほど質問させて頂く機会を得ました。


Q1心の再生のためにはどうすれば良いのか?
ニーズとしてどういうものがあるのか?

Q2基礎自治体と国の話がありましたが?
→地方分権につながる話ですが
道州制という議論がありますが、それだと大きすぎるのでしょうか?

A1
自分らしく生きる環境
→バラバラになってしまったことに対して

お金を与えることには意味がない
お金では心は再生できない。
お金があれば有るほど、働く気になりません。
お金があれば堕落していく → お酒を飲む、遊興に走る

広島や長崎の原爆の後に
→今のような保障制度が有ったのか?
みんなが、人が、入っていって、再生していった。
→今は地域を隔離して人が入れないようにしている。

如何に再生させるかが重要

「自分らしく」生きている意味があるように支えあって。
いきててよかったな、いきよう。と思えるように。
お金なんか、どんどん入っている(but投資先ない)

A2
道州制がはない→
県のような中間管理をなくすことが重要。
基礎自治体が各省庁へ予算を取りにいけるようにするなどして、基礎自治体へ権限委譲するべき。
国と直接やりとりできる環境にするべき。

単に経済復興ではなく、人が人として生きるために、承認の機会を得る、働く”場”を提供することの重要性を感じました。

あとクエスチョンの回答でお金が有ると堕落してしまうというお答えをされていることからも、ベーシックインカムには賛同してくれないだろうなぁと感じました。
(私は本質的には、働く機会が無いことが問題だと思っていて、そのためのBIなのですが)

ビジネス的に南相馬市とはこれからも絡んで行きますが、どうぞよろしくお願いいたします。



ーーーーー以下メモーーーーー

防災有効なのは、基礎自治体の連携(杉並区等)だった→早い
立法に拠る救済では遅い。

人口流出で7万人が一時、1万人を割り込んだ

東電ではなく、市のほうが除染を実施
国が施策を作らないと動けないとは何事か。


【災害と政治】
災害おいてたいせつなことは
→命を守ること
何を大切に地方の政治を預かるのか。

誰が本当に命を護れるのか
(政治の立場として)→やっぱり首長しかない。

首長がしっかりしないと、その地域はだめになる。
→首長を目指すべき
自分の命を最大限燃やせる場として首長に挑戦すべき。

【マスメディアと使命】
マスコミが逃げ出す現状
→この国の惨状を見た
→報道機関としての使命は?

桜井市長「逃げ出したマスコミにコメントする必要はない。」

→一方でフリーランスの人間はたくさん来た。
海外のマスメディアもたくさん来たが、日本のマスメディアは来なかった。

使命感を持たない人が仕事をすると、逆に報道される側がどれだけ被害を被るか。
県には来るけど、基礎自治体には来ない。


【国政と災害】
20kmの避難指示は政府からも、県からも来なかった
聞いても判断しなかった。
→テレビからの情報しかもらえなかった

//きちんと情報共有・意思決定を行うスキームの欠如?

原子力防災計画を行わなかったのは→住民が不安に思うから。

このような状況で、国や県は何もしてくれなかった
→政府の指示はこの状況にとどまれというもの
→新潟から全市民を受け取るとのメッセージをもらって、有りがたかった。

命を救うことがすべて。党派なんて関係ない。
そんな状況で菅総理の政局についてマスコミからコメントを求められた。

必要なのは「使命」政治家の使命、国会議員の使命、首長の使命。
→使命を持ってやっているのなら5月の段階でなんとかしろ。

世界史的な災害に対して
日本が世界に発信できるチャンスなのに。。。
「国力を示すべきではないか?」
より良い法律を瞬時に創り上げて、こそではないのか?

【心を取り戻す】
東電に対して
桜井氏「市民の心を再生することに全力を上げて下さい」
「人の心を再生すること、人の心をもう一度立ち直らせることに全力を」
20km30kmで義捐金が距離によって差別される。

原発事故をも自然災害と言えるのか

★国も東電も、命と心への配慮がなさすぎる。

【政治家を選んだきっかけ】
農家というのは休みがない。
それを選んでいるのは誇り。
//最低賃金法っておかしなものだね。

産廃処分場を阻止をしたかった。
そのために署名を集め、裁判に訴えたりしてきた。

原発事故と同じ
→アンダーグラウンドの力を
→暴力団と結びつかない企業はどれだけあるのか?

政治家になるには
「おかしいと思うことに対して、おかしいということを貫かなければ何も変わらない。」
命がかかります(ex.御嵩町長)

【走ることについて】
内向的な自分と戦うために
毎朝走り続けている。

走ることに対して辛いと思う自分がいて
「正しい」ということはほんとうに正しいのかと考えならが走っている。

妖怪がどう動いているのか、その犠牲となるのはだれか?
犠牲となった南相馬市として声を上げていかなければいけない。
市民と直接対話しなければ、市民の心は動かない。

【使命感】
医者も殆ど逃げ出した。(使命感がなかった)
命を救うということに対して、逃げ出すことが解なのか?

(かっこ良く言えば)
一人も残さず、避難されるまでは私は残る。
→といえば→職員を含め、あくまでも残らざるを得なくなる
「全体の奉仕者」であるなら、最後までその使命を果たすべきじゃないか?
部長を含め、耐えられなくなり、やめていく。
→ほとんどが精神疾患にかかっている。

市民が市民を責めて、職員を市民を責めて
耐えられ無くなった状況で、自分の使命を忘れてしまう。

時間の経過と、地理的、宇宙的な視点で考えて欲しい。

産廃処分場で命が危うくなる人がいる、
宇宙から見れば、地球はゴミ。
我々の命は今しかない。

自分の周りや自分たちだけが不幸だとしか思えない。
毎日人身事故が起こっている東京はどうですか?

命を救うということはどう事か?

自殺した被災地の老婆
彼らに生きる希望を与えなければ、
いきているしごとを 行わなければ意味が無いではないか。

命はそんなに軽くない
霞が関が、机上での議論で、現場の命を奪っていく。

ネットも携帯も使えない中で、無線が役に立った。
政治を志すなら無線を抑えておくと良いかも

医者が不足している。
厚労省は役に立たなかった。


【今後】
3/24 Youtubeでうp
→世界中からアクセス。英語で電話が来て、困った。
避難をさせられたら、良いまちづくりができるなぁ、と。

見たことの無い地に行って帰ってきたことで
学んできて、良いまちづくりができました。
作っても売れないだろう。
→電気作ることにした。

失われた大地を無駄にしたくない。

農家の多くは70代、80代
再生のために、労力を割くことはできない。
しかし、彼らが継承し築き上げた大地を、無駄にしたくない

瓦礫を、防潮林として利用したい。
11日までには生きていたもの。
彼らの魂を引き継いて行きたい。


「命を別の形で再生できるのではないか」
→自然エネルギーのプラントに。

今、多くの企業が、南相馬市を市場と見ている。

日本の自然はエネルギーに満ち溢れている。
最終処分を出来ない原発はダメなんじゃないか?

2011年11月28日月曜日

日本政策学校へ入学

日本政策学校 http://j-policy.org/


の第一期生として入学致しました。


日本を良くしていくために、色々と学んで行こうと思います。

2011年11月18日金曜日

主要5コンビニの中華まんまとめ

肉まんがおいしい季節になりました。


私的好きなのは、ディズニーシーの餃子ドッグなのですが。
あと、一番いいのは551ですが。入手困難すーぎーるー!!


というわけでまとめ
・ファミマ
http://www.family.co.jp/goods/ff/chukaman/

・ローソン
http://www.lawson.co.jp/recommend/static/oden/chuka.html

・セブン
http://www.sej.co.jp/sej/html/products/ff/chukaman/

・サンクス
http://www.circleksunkus.jp/wakuwaku/chukaman/

・ミニストップ
http://www.ministop.co.jp/menu2/



個人的にはファミマのスライムまんと
サンクス、及び、ミニストップに注目~



これはキン肉マン

2011年11月15日火曜日

【協力依頼】新宿区ホームレス生活保護裁判勝訴判決の確定に控訴断念要請をお願いします

以下、新宿区役所と3年間戦った裁判の結果です。

現在、生活保護制度は、不正受給が問題となる一方で、本来受給できるべき人が受給できないという現象が起こっております。
本件裁判の原告は、当時ホームレス状態にあった就労意欲のある真面目な方で、ホームレス総合相談ネットワークの路上相談を通じて、生活保護を申請することになりました。新宿区で生活保護を却下された後に、板橋区で保護を受けることが出来、その後福祉施設にて職を得、生活再建をすることができました。
本来受給できる権利がある人が受けられないという現状を打破すべく、本人には何の得も無い(既に生活再建できているので)のに、3年に渡る裁判闘争を繰り広げてきました。
判決の成否が気になりすぎて、この一ヶ月、ほとんど眠れない日々を過ごしてきたとのことです。
ご協力いただけると助かります。

ーー
新宿区ホームレス生活保護裁判弁護団事務局長の戸舘です。
11月8日に言渡された原告全面勝訴判決ですが、なんとしてでも控訴を断念させて確定させる必要があります。
つきましては、皆様に、控訴断念要請FAXを新宿区に宛てて送信していただくようお願い申し上げます。
転送転載、コピーなど大歓迎ですので、できるだけたくさんのFAXを集中させて、新宿区に対して控訴を断念させるよう行動をよびかけます。
また、FAXに加えて、 メール要請もお願いします。
●新宿区
 160-8484 新宿区歌舞伎町1-4-1
 新宿区区長室広聴担当課広聴係
 FAX 03-5272-5500
https://www.faq.city.shinjuku.lg.jp/faq/EokpControl?&event=DE0001&cid=58177
●東京都
東京都福祉保健局生活福祉部保護課
S0000226@section.metro.tokyo.jp
●東京都福祉保健局総務部総務課広報担当
S0000190@section.metro.tokyo.jp
以下、要請書フォーム
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新宿七夕訴訟東京地裁判決に対し控訴しないことを求める要請書
新宿区長 中山弘子 殿(FAX:03-5272-5500 区長室広聴担当課広聴係)
新宿区福祉事務所長 殿(FAX:03-3209-0278 福祉部生活福祉課自立支援係)
本年11月8日、東京地方裁判所民事第2部(川神裕裁判長)は、平成20年(行ウ)第415号生活保護開始申請却下処分取消等請求事件(原告:Y氏、被告:新宿区。「新宿七夕訴訟」)について、原告の請求を全面的に認め、被告である新宿区に対し、平成20年6月2日付で新宿区福祉事務所長がなした生活保護開始申請却下処分の取消し及び、同日から居宅保護の方法により生活保護を開始せよという生活保護開始決定の義務付けを命じる判決を言い渡しました。
本件は、ホームレス状態にあった原告が、アパートに住んで住居を確保した上で就職活動をしたいと考え、新宿区福祉事務所に生活保護を申請したところ、新宿区福祉事務所の職員から自立支援システムを利用するよう強く求められ、原告がこれを断ったところ、「稼働能力を十分活用しているとは判断できない」として、3度にわたり生活保護申請を却下したことに対し、最初の却下処分の取消と生活保護開始決定の義務付けを求めるものでした。
判決は、原告の主張をほぼ全面的に認め、法は不可能を強いるものではないこと、生活保護法4条1項は「当該生活困窮者が、その具体的な稼働能力を前提として、それを活用する意思を有しているときには、当該生活困窮者の具体的な環境の下において、その意思のみに基づいて直ちにその稼働能力を活用する就労の場を得ることができると認めることができない限り」なお稼働能力活用の要件は満たされるとし、原告が稼働能力を活用していたことを認定しました。
このような判断は、生活保護法の本来の理念、現在の雇用をめぐる情勢や原告の年齢、経歴、置かれた状況に照らしてみても至極自然なものであり、被告である新宿区の福祉行政の過ちを断罪したものです。
原告は、自らの生活状況が不安定で非常につらく苦しい中でも、自らのたたかいが自分だけではなく自分と同じようにホームレス状態に陥った方々のためのたたかいと位置づけて、3年にもわたる裁判闘争に耐えてきました。
今回の判決で原告に対する取り扱いが生活保護法に照らして違法なものであると明確に判断された以上、行政の立場にある者としては、誤った行政行為を自らの責任で正す義務があります。
被告である新宿区が控訴をすることは、原告をさらなる裁判闘争にさらすことになり原告の精神的負担を増すばかりか、かつての原告と同様の境遇にあるホームレス状態にある方々をさらに苦境に追い込むものであり、到底容認できるものではありません。
以上の次第ですので、被告新宿区が判決を真摯に受け止め、控訴することなく、直ちに原告への生活保護の開始決定をして所定の金額を支払うことを求めます。そして、今後は、生活困窮者、特にホームレス状態にある者に寄り添った福祉行政をすすめていくよう改めることを求めます。
【意見欄(補足でご意見があればお書きください。)】

氏名
住所
記入日  2011年  月  日 


2011年10月25日火曜日

メディア掲載のお知らせ

以下の書籍に掲載されています。

イケメン写真ばっかりの中に私も掲載していただいています。
(私だけ韓流じゃないですがw)

目の保養にもなると思うので、
もしよろしければご覧下さい♪

2011年10月20日木曜日

すーつ

げつようび かようび とワイシャツですごした。

しかも、げつようびは はんそでだったのに。。。

きのうは げんかんを でたあたりで ひきかえして すーつにきがえた。

きょうは いえを でるまえから すーつ。

きせつが いっきに きりかわる。

はやく あたたかく ならないかな。

わたしの ふところも。。。

追記
電車でワイシャツの人を二人も見かける。
なんだか負けた気分。
風邪ひかないでね。

2011年10月18日火曜日

年金と高齢者の就労の場について

年金支給開始年齢 引き上げ検討へ(NHKニュース 10月9日 6時35分)
厚生労働省は、年金の支給開始年齢について、急速に進む少子高齢化に対応するには、将来的に68歳から70歳程度へ引き上げることを視野に検討を進める必要があるとして、今週から本格的な議論を始める方針です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111009/k10013143701000.html

とあるように、これから膨らんでいくであろう年金財政の負担増に対して、
厚生労働省は年金の支給開始を引き上げるという手段に出るようです。

先月の大阪講演でも述させて頂いたように、
財政破綻を起こしたギリシャでも取られている方策で、世界的に見てそう珍しくないものです。

まぁ、合理主義的な考え方では以下のような考え方もありますが、

年金の支給年齢を引き上げるのはすばらしいアイデア
http://agora-web.jp/archives/1391704.html

じゃぁ、60歳でリタイアして、年金支給開始までのそのブランクはどうするのか?
ファイナンシャルプランナー的な視点でも、
その間にどのように、生計を立てるのかという視点が欠かせません。


その一方で、現状は以下のように、
  高齢者が働ける企業 半数以下(NHKニュース10月13日 5時42分)
年金の支給開始年齢が段階的に引き上げられるなかで、希望すれば少なくとも65歳まで働ける企業は、全国の中小企業と大企業の半数以下にとどまっていることが、厚生労働省の調査で分かりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111013/k10013222581000.html

働く場を得るということが難しくなっています。
(これは高齢世代に限らず、現役世代もです。

IT業界(システム開発系)では40代を超えるとなかなか仕事に入れなくなります。
この変動の激しい時代ではIT業界に限らず、40代~60代でもキャリアチェンジを迫られることがが少なくないでしょう。 

それを支える、社会保障制度と、教育訓練制度の2つをきちんと整備していく必要がありそうです。

2011年10月5日水曜日

座禅体験@京都 大徳寺

京都に行ってきた時に、茶道関係の友人の勧めで大徳寺にて座禅をしてきました。

昼間に電話で予約をし、
スタートの17:00の15分前になんとかたどり着いて、中を拝観。



相阿弥や狩野元信などの重要な文化財があるからか、中での撮影は禁止。
住職が本を出版されているらしく、書籍も販売していた。


日曜日の夜だからか人が少なく、参加者は6名。


座り方(足の組み方)、手の組み方、背筋の張り方、視線の位置、
棒での叩かれ方、などの説明を軽く受けた後に
座禅を二回行う。

座禅というと棒でビシビシ叩かれるイメージを持つ人が多いですが、
ここでは、座禅者が僧侶に合唱してお願いをすることで、叩いてもらえる。
気の迷いや、姿勢が崩れ、はたまた眠くなってしまった時に、
お願いをして叩いてもらうことで気合を入れ直す。

終わってみるとあっという間の一時間でした。
この時期は17:30にお寺の鐘がなるらしく、それが大変気持ちよかったです。
(お寺の鐘は季節によって鳴る時間が変わるとのこと)


終わったあとに、お茶室に移動して、お茶菓子とお抹茶を頂く。


和尚さんも一緒にお茶を飲んで談笑する機会があり、
禅のことや仏教の道に入ったタイミング・その後の苦労などもお話いただいた。
それぞれの立場での役目をしっかりと果たすことの大切さを感じました。



他の参加者には、カップルで来た方も居て、女性のほうが終わった後に
汗ビッショリになっていて、どうしたかと訳を尋ねると、
いつ叩かれるか緊張しすぎて、冷や汗たらたらだったそうです(笑)
結果的にはこちらのお寺では座禅者がお願いをしない限り叩かれませんでした。

小学生5年生の女の子の参加者もいて、
毎週来ているの?と聞いたところ、
「ううん、月一回ぐらい。趣味だから。」
というカッコイイ答えが帰ってきた。





毎週土、日曜日 3月~11月:午後5時~6時
12月~2月:午後4時30分から5時30分 に開催
拝観料400円+座禅の費用1000円の1400円

初心者も安心して参加できる。
京都に行く機会のある方は、是非、立ち寄られて心身を整えてみては如何でしょうか。

http://www.b-model.net/daisen-in/gyoji.htm

2011年9月28日水曜日

エステ初体験♪


先日初めて顔エステに行ってきました♪

お世話になったのはこちらの「オリエンタル・プレシャス」さん
http://www.oriental-precious.jp/esthe/index.html


 タイハーブをベースにしたオーガニックなエステが特徴のようです。
叔父がタイに住んでいたこともあり、ニュージーランドでホームステイしたときに、ステイ先にタイ人も居たので、タイと聞くとちょっと懐かしいです。

お店ではポプリや化粧品を販売しており、その一角で 施術して頂く。





wktkしながら、診断書への記入から始まり

オイルマッサージ

何故かニヤケ顔なところが後々までネタに・・・

お口直しに綺麗なお花(ポプリ)をご覧ください(店内様子)

ピッコロ大魔王になるために顔を塗り塗り(キュウリとかの成分だそうです)

手・腕・肩のマッサージをしてくれます。  痛くないよと強がりましたが、表情に現れていますw

タオル男出現!

気持ちよくてほぼ寝てる感じの図(笑)
終わったら青い飲み物で一服

お肌がキレイになっただけではなく、ハンドマッサージで疲れもとれたし、
ハーブが売りなだけに、香りが何度も変わる中で、大変リラックス&リフレッシュできました。

これで大阪講演もバッチリ☆とテンション上がって、そのまま夜の品川に遊びに・・・。

また行こうっと♪

http://www.oriental-precious.jp/

2011年9月27日火曜日

大阪講演 参加御礼

大阪での社会保障制度に関する勉強会は無事に終了致しました。

岡山や岐阜などの遠方からいらっしゃった方に加え

司法書士、行政書士、社会保険労務士、税理士、大学教員、大阪狭山市議、和歌山県議

などなどの先生職の方にご参加いただいたとの報告を頂いております。

ご来場いただいた皆様、Ustreamでご視聴いただいた皆様、ありがとうございます。

会場からも積極的に質問や発言を頂き、大いに刺激を受けてきました。




帰りは京都で宿を探して彷徨っていたら、朝が明けてしまったので、寄せ場交流会には参加できず(´・ω・`)

ネカフェで仮眠→嵐山天龍寺→龍安寺(石庭のところ)→御所→下鴨神社→大徳寺で座禅

とまぁ、 小学校の修学旅行・高校の遠足 以来、3度目の京都でしたが
ひと通り見て来られたかなという感じです。

2011年9月22日木曜日

Andriod2.3へのアップデート

「Xperia acro」「HTC EVO WiMAX」にアップデート提供、Eメール対応など
KDDI、沖縄セルラーは16日、同社が提供するスマートフォン「Xperia acro IS11S」と「HTC EVO WiMAX ISW11HT」のソフトウェアアップデートを実施すると発表した。Xperia acro IS11Sは9月20日午後6時、HTC EVO WiMAX ISW11HTは9月22日午前10時より提供する。

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/09/16/129/

というわけで早速Android2.2からAndroid2.3にアップデート。

起動が早くなったり、コピーやペースト周りのUIが向上したりと
今のところ、いい感じに動いています。

ウィジェットの情報が引き継がれないらしく、
「ウィジェットを表示できません」と出てきてしまい、ここのエリアに何が入ってたっけ?と思い出しながら動かしています。

テザリングの同時最大接続数などがリセットされるようで、何で繋がらないと焦る場面も。



先日、同じくGoogle から出ているChrome Bookを使っている方とお会いしたのですが
まさにベータ版という感じで、まだまだ使用に耐えるレベルではなく、
毎週アップデートが来るのでそれを楽しみにしているという感じで、
マゾっ気が無いとだめだそうです。
(ちなみに、利用していた方はそのせいで高血圧になってしまったそうですw)

Androidも似たような感じですね(苦笑)



なお、9月24日の講演会@大阪ですが、まだ若干お席に余裕があるそうですので、
お近くの方は是非お立ち寄りくださいませ。

http://blog.daiheiwa.net/2011/09/924.html

東京に居らっしゃる方はこちらをどうぞ(友人が運営しています)
「未来国会2011」決勝プレゼンテーションイベント【無料】

2011年9月14日水曜日

鬼ごっご協会 公認指導員


PCの中身を整理していたら、以前こんなのもらっていました。

何かに使えるかな?

鬼ごっこの指導ができます(笑)

2011年9月12日月曜日

ワールドカップ ラグビー


ラグビーのワールドカップが始まりました。

http://www.rugbyworldcup.com/


今回の開催地ニュージーランドは 、小さい頃私が住んでいた國であり、

世界ランキング1位のラグビー大国。

私の通っていた小学校(Primary School)にもラグビーコートがあり、休み時間にラグビーで遊んだりしていました。

ニュージーランドのナショナルチームは「All Blacks」と呼ばれ、黒いユニフォームが特徴です。

試合前にHAKA(ハカ)という、ニュージーランドの先住民マオリ族の戦いの踊りを踊ります。実にかっこいいです。

実は私も踊れます。

ニュージーランドに住んでいた頃に「ジャパンフェスタ」という日本とニュージーランドの友好イベントが行われ、現地の学校の子と一緒に炭坑節と共に踊らされました(笑)


アンドロイドアプリも出ているようで、早速インストール

https://market.android.com/details?id=com.rugbyworldcup.AndroidClient&hl=ja


今日20:00~が確か日本VSニュージーランド。どちらも頑張って欲しいものです。

何処かで観たいんだけど、おうちにテレビがないのん・・・

2011年9月11日日曜日

関西講演(9/24)のお知らせ

大阪城のそばで講演させていただくことになりました。

三連休の中日でお忙しいこととは思いますが、
関西の方でご都合の宜しい方は、是非お越しくださいませ。



日時 2011年9月24日(土) 14時~16時30分(開場午後1時30分)
場所 大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)
  大阪市中央区大手前1丁目3-49
  (・京阪「天満橋」駅下車。東口方面の改札から地下通路を通って
   1番出口より東へ約350m。)
  (・地下鉄谷町線「天満橋」駅下車。1番出口より東へ約350m。)
  (・JR東西線「大阪城北詰」駅下車。2番出口より土佐堀通り沿いに西へ約550m。)

内容 ベーシック・インカム勉強会
    20年後の社会のあり方を考えよう。
    ベーシック・インカム(最低所得保障)とは?

参加については以下の画像にあるメールアドレスまでお問い合わせください。



講演は国会議員の先生方とパネルディスカッションした去年の10月以来かな。
http://blog.daiheiwa.net/2010/10/blog-post_17.html

2011年9月9日金曜日

人生の前半 若者の就労と社会保障

ホームレス総合相談ネットワークで御一緒している森川清弁護士がコーディネートされているので
第54回日弁連人権大会プレシンポジウム「若者の生活保障~コミュニティ、労働、教育の観点から」
にいって参りました。

前半の基調講演 千葉大学法経学部 廣井良典教授のお話は、
最後の方しか聞けなかったのですが、
当事者発言と、パネルディスカッションは聞くことができました。


当事者発言で 派遣社員の立場で正社員を羨ましく思うのは、
「正社員は会社のお金で研修を受けられる。会社が投資をしてくれるが、派遣社員はそうではない」 ということだそうで、
彼女は切実にキャリアアップを望んでいるし、仕事が出来るようになり外という強い意志があるのに、それが活かされない社会の、社会的損失を深く痛感しました。

自費で受けざるを得ない、教育・研修がもっと安く受けられるといいなぁ。
本人がやる気を出した時に国が背中を押してくれたり、サポートがあるといいなぁ。
という当事者の発言には心が痛みました。

パネルディスカッションは以下の3氏によるもの。
阿部 裕子氏(横浜パーソナル・サポート・サービス)
東海林 智氏(日本新聞労働組合連合会中央執行委員長)
三浦 直子氏(弁護士・東京弁護士会会員)

三浦先生とか東海林さんの話はよくお会いしているので、ふんふんという感じで新しい話は無かったのですが、
ただ、非正規雇用が36%と1/3を超える現代に置いて、
正社員というものに過度な幻想をもたせたり 正社員であることと派遣社員であることで
生活が出来るかできないか の差が出てくることに改めて疑問を感じました。
(社会制度が正社員であることを前提にしている点)

またこの問題は正社員である人間も関係のない話ではなく、
正社員も、自らの正社員という地位を文字通り死守せんがため、ボロボロになるまではたらいて、メンタルを壊していくケースが少なくないので、結局、正社員であっても安泰というわけではありません。


広井教授は若者を人生前半の40未満としていましたが、
これだけ高齢者が多くなってくると
「 若者」という言葉の定義は微妙なものだなぁと改めて実感。


権利教育の大切さもパネルディスカッションで議論されていましたが、
弁護士の立場からは権利教育の大切さも重要なのでしょうが、
権利行使を行わなくてはならない、という状態はなんらかの問題を抱えているわけで、
権利行使を行わなくても済むような社会のほうが良いよなぁと思った次第。
(それこそLDなどで、そこまで辿りつけない人も出てくるでしょうし)




そういえば
非正規雇用が増えた原因を小泉竹中改革のせいだと考えている人が結構いるけど、
原因は 1995年の日経連の「新時代の『日本的経営』」であり、
これを契機に、企業の雇用戦略が正規雇用中心から非正規雇用を活用する方向へシフトしています。
(東海林さんの話で思い出した)



以下、紹介されていた本です。

こういう本は一冊持っておくと良いと思います。しかも、安いし。


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2011年9月5日月曜日

100km行軍レポート2(完)

100km行軍報告と御礼→  http://blog.daiheiwa.net/2011/09/100km.html
100km行軍レポート1 →   http://blog.daiheiwa.net/2011/09/100km_05.html
70km80km  平塚~大磯
元々、ここを歩く!という経路は考えず西進し、とりあえず辿りつけば良いと思っていたのですが、道がなくなった!と初めて思ったのが、平塚。工事で歩道がなくなっていたのです。(あと、暗くてよく分からなかった)時間は午前1時台。
とにかく、シップを調達したかった。でも、こんな時間に薬局が開いているはずもなく調達は不可能だと思っていたところ、たまたま入ったコンビニでサロンシップの暖かい版(医薬品じゃない奴)を発見!購入!貼る!
ここで時間をかけてシップの貼替えをしていたおかげで、豪雨をアーケード街でやり過ごすことができた。

また、新聞販売店の前で新聞を積み下ろししている現場に遭遇しました。時刻は3時ちょっと前。私も学生の頃は毎朝この時間に起きて配達したなぁと懐かしく思いました。
雨が降ろうと、嵐が来ようと、新聞配達に休みはありません。(台風の時は、予め早く新聞が到着します)風邪引いても、熱があっても休めなかったし。
それでも欠勤はもちろんのこと、寝坊・遅刻も同僚は月2~3回はしているのに、私は年に一回あるか無いか程度で殆どしなかった。(最初の二年は無遅刻)勉強もちゃんとやったし。
今回の行軍でも、雨が降ったらカッパを着て歩けば良いじゃん♪という私の楽観さとタフさの原点はここにあるんだなぁと実感しました。

そんな風に思案しているうちに大磯に到着。大磯は天候に因る最大の難所となりました。
松並木を歩いている最中に豪雨に見舞われる。
偶然にも、歌川広重「東海道五十三次・大磯」に雨が絵描がれており、因縁を感じました。
案内板で旧吉田茂邸があるということを知って楽しみにしていたのですが、夜中であったことと、豪雨で気づく暇も有りませんでした。
ここからきつかったのはリュックサックが濡れて、重くなったことです。中身はビニール袋でカバーしていたので無事なものもありましたが、タオルたちが濡れていてものすごい重量になってしまいました。大磯町を抜ける辺りで一段と強い豪雨が来て、その後落ち着いた天候になりました。


8092km 二宮町~小田原
二宮町に入ってしばらくすると、反対側の道路を走っている人に追い抜かれるようになります。上等なトレイルランニング用のバックパックを背負い、颯爽と走っていく人たち。30kmぐらいまでは人が走っていたら、ペースメーキングのために後ろについて走ってみたりしていたのですが、今は歩くだけで精一杯の私とは大違いだなぁと思いました(苦笑)


そして、小田原に入ってしばらくした辺りで徐々に周りが明るくなり、日が明けました!
海が見える所があり、台風で波が荒れ狂っているも美麗!ツイッターでの声援も併せてかなり元気をもらえました。

暫く走って、国府津のサンクスの前に来た辺りでまた海が見えるようになるのですが、海が近すぎて怖すぎる・・・!
そして、コンビニの前で先ほど走っていた人たちが集まってそばを食べたりしていました。男女混成で7人のようです。先ほど風の様に駆け抜けていったので、勝手に“風の七人衆”と呼ぶことにした。
トレイルラン用の小さなバックパックを背負い、靴やスパッツの装備も高そうでブルジョアっぽさがよくわかります(笑)
コンビニに店員が居なくて買い物が出来なかったので、私のほうが彼らより先に走り始めたのですが、暫くして抜かされた時に何故かスイッチが入って、後ろについて行くことにした。2km程くっついて行きましたが、もうムリぃぃぃってなって、足のサロンシップを貼り替え。


台風で増水した酒匂川の濁流にビクビクしながら渡り(あまりにも増水していたら引き返す覚悟はしていました)、コンビニでレッドブルとゼリードリンクを購入し、小田原城を目指す。が、なかなか足が動いてくれない。さっき調子に乗って走ったことを後悔しつつ、歩くことが歌詞に入っている曲、X-JAPANForever Love「もう一人で歩けない~♪(=(私は)もうこれ以上歩けないw)」やGLAYBELOVED「もうどれくらい歩いてきたのか~♪」を聞きながら、気合で小田原城に到着。小田原城自体には一度来たことがあるので、未開の地と違って若干の安心感を得る。
ツイッターで頂いたアドバイスに従って、小田原城で30分程休止&マッサージして箱根に備える。


92km102km小田原城~箱根
小田原城で30分休憩するも、足がなかなかいうことを聞いてくれない。一度腰掛けると立ち上がれないのだ。
やっとの思いでトイレに辿り着く。用をたすと何故か憑き物が落ちたかのように歩けるようになる。よし!これで箱根を目指せるぞ!と気合を充填。

後ろを振り返ると「東京(まで)88km」と書かれた看板がある。道なりに歩いていないのと、寄り道しているのでそれ以上の距離になっており、とうとうここまで来たのかと感無量。

箱根に行ったらどうしようと思ってツイッターでつぶやいたところ、箱根の宿、素泊まり、日帰り入浴の情報をたくさん頂戴し、励ましに泣きそうになる。

総歩行距離が96kmとなった箱根町入り口の手前のコンビニで自転車乗りのおじいさんを見かける。
水分補給したら話しかけよう!と思っていたら、向こうから話しかけに来てくれた。なんでも一週間で東京から山口まで走って、復路だそうです。
私も一昼夜歩き続けてここまで来ましたよーと言ったら、存外に驚かれて、ちょっと嬉しかった(笑)
箱根の道は苔が湿っていて滑りやすいから注意。とアドバイスを頂戴し、双方の無事な帰還を祈り、分かれる。素敵な一期一会に感謝。

暫く歩いた後、また歩道がなくなる。Google Mapsで経路を検索し、別のルートで行けることを確認して迂回する。
暫くあるくと、細い吊り橋がある。まさか・・・これを渡るの? Google Mapsをもう一度確認する。やはりこの吊り橋を渡らなければならないようです。こんな小さい吊り橋も検索で出てくるGoogle Mapsに舌を巻きながらも、強風にビクビクしながら、ぐわんぐわん揺れる吊り橋を渡る。

箱根に入ってからはずっと雨が降り続いている。

Google Mapを便りに箱根湯本まで辿り着く。観光案内に立ち寄り、宿や入浴の相場などのレクチャーを受ける。
ただ、計算上、まだ100kmに達していないと感じ、国道1号線を歩き進めることにする。
大平谷という地名に奇縁を感じ、そこまで行ってみようかなと思う。しかし、塔ノ沢を過ぎた辺りから歩道がなくなり、車の通りも多くなったので身の危険を感じ、このままこの道を進むのはやめようかと思い直す。
塔ノ沢発電所の吊り橋付近で小休止しGPSを見ながら経路を探すも、道が無いことが判明。また、計算上100km超えているなぁと感じられたので、ここを100km行軍の終点地点とし、箱根湯本まで引き返して温泉を探すことにしました。


箱根湯本の温泉までの復路が最期の難関でした。雨が土砂降りになり、温泉も駅から若干遠めの場所だったので、天成園についた頃にはカッパの下の服もびしょびしょになっていました。
なんだかんだで、靴を脱いで、旅館の中を裸足で歩くことが大変でした。
無事に温泉に浸かることが出来、雨の中の露天風呂も楽しむことが出来ました。


●まとめ
今回の100km行軍は単独で行ったことですが、ツイッターで頂いた100を超える声援、途中にあったコンビニの存在、コンビニであったおっちゃんたち。いろんな人に支えて頂きました。 最後の方は気力だけで歩いていた感じですが、大いにその力になって頂きました。 一人で歩いていたけど、決して独りではありませんでした。   
人間、一人で生きているようで、ひとりで生きていないことを強く実感しました。

物事を最後までやり抜く自信がつきました。

道中、各党の政治家のポスターが気になりました。結論から言うと、殆ど自民党と民主党の2大政党制になっているんじゃないかなぁという感触でした。(他政党の存在感がなさすぎる)ポスターとか禁止したら面白い選挙制度になるかもね。


●その他
トイレで赤い尿が出てびっくりした。
後にツイッターで教えてもらったことですが、行軍症候群(=筋肉融解)という症状で、水分をたくさん取るようにと言われました。よくあることのようです。
【参考】RUNNET知恵袋  http://bit.ly/nUJjHV
【参考】横紋筋融解症という病気 http://oumonkin.curair.net

温泉を離脱して東海道線で帰宅するときに、あれだけ頑張って歩いた道が、一瞬で通りすぎていくことに切なく感じました。
また、電車で座っていることすらきつかったのですが、その後、乗り換えで移動するときに階段が本当にきつかった。一生懸命エレベーターやエスカレーターをさがして、バリアフリーの重要を切に感じました。
そして、今回の最後の最後の難関は自宅の階段でした(笑)


●データ
走行距離:102.67km
時間    22時間
装備    :雨合羽(ウィンドブレーカーを防水スプレーで加工したもの)
     リュック(復路用の着替え、タオル、スマホの電池*3・充電器、タブレット(SMT-i9100))
      Mizunoのウェーブライダー(数年前までRunに使っていたけどクッション性がなくなり普段履きに利用していたもの)
水分    :コンビニや自販機でスポーツドリンクや水を適宜購入(計7リットル)
食料    :コンビニで唐揚げ棒*2、バナナ、それ以外はゼリードリンクを9個
(リュックと靴は、汗と雨で異臭がして、取れなかったので廃棄)

100km行軍レポート1

100km行軍報告と御礼→  http://blog.daiheiwa.net/2011/09/100km.html



●036km 日本橋~~神奈川区
スマホを便りに道も十分に調べず、地図も持たず出発。

最初は歩きでスタートするも、台風が来ているためこれから先、雨が予想されるので、雨が降っていないうちは距離を稼いでおこうと23km地点から走ることに。品川まで走った辺りで、スマホ情報により、国道1号線を走ったほうが良さそうだといことで、第一京浜=15号線≒旧東海道から逸れて五反田辺りから1号線を走る

17kmの池上辺りで走行中初の雨に遭遇。前が見えなくなるぐらいの雨、「もう雨が来ちゃったのか~気が重いなぁ」としょんぼりした気分でカッパを羽織るも、通り雨でしばらくすると雨が上がる。(それから藤沢ぐらいまではカッパの出番は有りませんでした)
多摩川を超えて神奈川県に上陸。川崎市で苦しめられたのが歩道橋の存在。ただ、後から何度も思ったのはこの頃は歩道橋を登る元気があったなぁ・・・と。

鶴見区に入った辺りで、生麦事件の有った、生麦(地名)ってこの辺りだったよね?と思い、調べたところ、実は15号線の方が旧東海道に近く、生麦事件の発生地があることが判明!折角だから見に行こうと思い15号線に入る道を行こうとするも、道を間違えて元の道に戻るという失態・・・。
生麦事件跡地をオーバーシュートするも、やっぱり行っておきたいと思い新子安辺りで15号線に入り、生麦まで北上。無事、跡地にある生麦事件の碑を観ることができ、神奈川辺りの分岐まで旧東海道に近いところを歩く。

36km56km  神奈川区~戸塚区 
だいたいこの辺りから暗くなりはじめ夜になりました。程ヶ谷は旧宿場町の面影が残っている部分もあり少々楽しめました。
そして最初の難所だった戸塚に入ります。なぜ難所となったかというと、ここまで多少の坂道はあってもずっと平地を歩いていたところ、保土ヶ谷~戸塚で山道に入ったからです。権太坂を始め坂道が辛かった。
旧東海道が階段になっている場所有りましたが、きちんとその案内も表示されていて、戸塚区は旧東海道の存在がよく分かるような看板がたくさん設置されていたのも印象的でした。また、コンビニの数がまばらになってきて、補給から補給までが長く感じられる用になった区間でした。




56km70km  藤沢~茅ヶ崎
藤沢に差し掛かる辺りから雨が降り始め、国道1号線を歩いているつもりが、違う道を歩いていました。でも、藤沢では時宗の総本山である遊行寺が有ったり、茅ヶ崎では松下政経塾が有ったりと、結果的には得るものが多かったので結果オーライ。
音楽聞きながら歩くということを始めたのも藤沢に差し掛かった辺りでした。

松下政経塾の前についたのが11:30。固く閉ざされた政経塾の門を見て、私には政経塾の門が開かれなかったなということを、身を以って実感し、複雑な心境になりました。
彼らの行う行軍は一緒に歩く仲間が居るし、中継地点とかでサポートしてくれる人が居る。私の場合は一人で歩き、補給も全部自力で確保しなくてはならない。これから先もそうなんだろうな・・・と、若干暗い気持ちになるも、こっちのほうがハードル高いよね?やり遂げたら私のほうが強い?と奮起(笑)

体力的に疲れが出てきて、心が折れそうだったのもこの地点。足の裏が痛くなり、徐々に筋肉痛も出始め、左大腿の付け根に違和感を感じ歩きかたに異変が出る。
ここで故障しては仕方が無いのでベンチに座り、マッサージをしながら湿布を貼り、歩行再開。
天候もあるから辞めたら?的な弱い心に付け入ってくる悪魔の囁き的なメッセージを頂いたりして、天候を言い訳にやめてしまおうか、などという考えが何度も頭をよぎりました。でも、そのたびに一度目標を立てたならやり通さねばならないと思い直し歩き続けました。

そうこうしているうちに、2番目の難所、湘南大橋に差し掛かります。大きな橋だな~台風あるし怖いな~と思って渡り始めると、ゴーゴーと風が轟音を立てているのに、意外や風が感じられない。そう、風防の板が有ったのです。助かった!しかし、その思いは無残に打ち砕かれます。
・・・風防は途中までしか無かったのです。横からの強風でまっすぐ進めなくなる。一生懸命ポケットのものが飛ばされないように、そして自分自身が飛ばされないように手で押さえながら歩く。橋を渡りきったときは、心から安心し、感謝しました。


100km行軍レポート2 http://blog.daiheiwa.net/2011/09/100km_4860.html

2011年9月4日日曜日

100km行軍完遂、報告と御礼

2日(金曜日)12:30に東京・日本橋を出発し、
台風の迫り来る中、夜一睡もせず歩き続けること22時間。
3日(土曜日)午前10:00に箱根塔ノ沢にて100km行軍を達成しました。
(その後、2km強歩いて温泉を探しました)



そもそも何故100km歩いたかというと、松下政経塾の伝統行事で、茅ヶ崎にある松下政経塾から三浦半島を一周し松下政経塾に戻るという「100km行軍」という研修があり、それぐらい歩けないと政経塾生に負けるな。自分は一人で歩いてやろう!と思ったからです(笑)


ツイッター等で多くの励ましの言葉を始め、
箱根を歩いたことがある経験者からのアドバイス
箱根の温泉・旅館情報など 多くの人に支えて頂きました。

歩いたのは一人でしたが、(孤独という意味で)独りではありませんでした。
特に終盤は、体力云々よりも精神力で歩いてた面があり、大きな支えとなりました。

応援いただいた皆様には心より御礼申し上げます。


 詳しいレポートなどは後ほど。
(上記、画像のリンク先で私が歩いたルートをご覧頂けます。終了後入力したデータなので、ペースのデータが4km以降は正確ではありません。気になる方は左側のActivity Historyで
ご覧頂ければと思います。)


 ついでですが、男子会の仲間、岡田紘樹さんが日本縦断マラソン中です。
http://twitter.com/#!/opanpon
彼を応援してます!彼と比べると自分が霞みます(苦笑)



100km行軍レポート1 http://blog.daiheiwa.net/2011/09/100km_05.html
100km行軍レポート2 http://blog.daiheiwa.net/2011/09/100km_4860.html

お詫び

8月20日にエントリーした件ですが

関係者の方からご指摘を頂き、削除致しました。

後に続く人たちの参考になればと思い、記述した次第ですが
一団体の、採用選考過程という、あまりオープンにしたくないものを不特定多数に公開し
関係者様には、ご不快な思いや、ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

謹んでお詫び申し上げます。

2011年8月27日土曜日

リーダー論2:リーダーは必要か

日本のリーダーを作ろうという養成所はたくさんあります。
ただ、私は前々からリーダーと言う言葉に疑問を感じていました。


最近、派遣でソフトウェア開発の現場に一兵卒(というよりも、リーダー補佐官として)入りましたが、現場のミドルクラスのポジションには、本当に優秀な現場指揮官が沢山んいることを感じました。

社会全体でいえば、軍隊で言う所の軍曹的なポジションに優秀な人間がゴロゴロ転がっているのです。
帝国陸軍が「兵士は優秀だが将校が無能」と言われた、日本の特徴(いい意味での良さ)(*1)は残っている。ということに、ある意味安堵しました。


果たして日本にリーダーは必要なのか

慶応義塾大学の小幡績先生がアゴラでのリーダーに関するのエントリーで述べているように(*2)、日本は現場が優秀です。

現場が優秀だからこそ、上に立って俺が俺がと自己主張するリーダーではなく、現場のミドル以下レベルのリーダーたちに裁量を与え、上手くオーガナイズできる人材こそが必要であると考えています。

『「明治」という国家』の中で司馬遼太郎は、西郷隆盛象について、西郷とは基本的に部下を信頼して任せ、何か問題が発生したりしたら責任は西郷が負っかぶるというスタイルだったそうです。

このように、優秀な人間を引き寄せる求心力と、適材適所で彼らに任せ、良い仕事をさせるような采配力を持つ。
これこそが、日本で必要なトップのあり方なのではないでしょうか。

先に述べたように、日本人は、出る杭を極端に嫌う傾向があるので、リーダーを生み出す!という気概はとても素敵だと思いますが、若干違和感を感じるのは、
強いものが決定権を握った戦国時代ならいざしらず、
民主主義制度により、大衆がキャスティングボードを握った現代の日本ではそういう人物は活躍しづらいように思います。
(直接声が届く範囲では有効ですが、全体を相手にすると、機能不全に陥ると考えます)

どこまでの範囲を「リーダー」と呼ぶのかという本質的な議論はさておき、
現場のリーダーを育成するノウハウを社会で共有していくことは必要でしょうね。
(経験を積ませていくうちに勝手に育っていきそうな気もしますが、より良い経験を積むには?ということで)
必要なのはリーダーではなくリーダーシップとそれを支えるフォロワーシップ。


【参考文献】
司馬 遼太郎
日本放送出版協会
発売日:1994-01

司馬 遼太郎
日本放送出版協会
発売日:1994-01


(*1)池田信夫-なぜ日本は機能しているのか
http://agora-web.jp/archives/1366188.html

(*2)小幡績-今の日本にリーダーシップはいらない
http://agora-web.jp/archives/1366692.html